HSC息子と学校~不登校への道のり②~
前回の続きです。
kodomotomanabumori.hatenablog.com
長男小学4年生、次男小学1年生で入学した年の事。
長男はそれまでチックや蕁麻疹になりつつも
楽しく学校に通っていましたが、
その年はいつもと違い、どんどん表情も暗くなり、
「学校いやだ」「学校行きたくない」と言うように。
そして夏休みの終わりの頃には「死にたい」とまで口にするまでに。
「死にたい」という言葉はショックでした。
それだけ、「死にたい」くらいのストレスを感じていたのだと思います。
長男から聞いた学校が嫌だという理由は
・教室がうるさくて、注意しても聞いてくれない
・教室を走り回っている子や寝そべっている子がいる
・宿題の量が多い
初めのうちはそんな様子で、夏休みに入ると「学校いたくない、学校なくなってほしい」と言っていました。
夏休み明け、登校はしたのですが、秋の音楽会に向けての練習が本格的に始まりました。
学年の先生たちは気合が入っていたようで、課題曲は少し難易度の高いものでした。
夏休み中にリコーダーの練習課題が出ていたのですが、
先生たちの思うような達成度ではなかったようで、学年集会でどう練習していくかという話しがあったそうな。
「学校での限られた時間でいつ練習するか?
休み時間に練習するしかないのではないでしょうか?」
というような、半ば誘導、強制される形での話し合いで決定したようです。
それからは、朝、中休み、昼休みの休み時間の全てが、音楽会の練習時間にされてしまいました。
HSCである息子にとって、唯一落ち着いて一人で過ごせる休み時間のすべてを奪わせてしまったことは、本当にストレスだったのでしょう。
そこでもう我慢できず、大泣きし、学校嫌だ!と学校へ行けなくなりました。
4年生になった出た首を振ったり、唸るこうな声のチックも、どんどん増える一方でした。
そんな長男の傍ら、次男は一か月ぐらいは一人でも登校していましたが、
頭痛や腹痛を訴えだし、保健室に行く日が増え、そのうち保健室にしか行けなくなり、そして学校に行けなくなりました。
そんな流れて、秋からは学校に行っていません。
初めのうちは、できるだけ登校させようと遅刻や早退、保健室、付き添いなど、
色々試行錯誤しましたが、学校側の音楽会の方針も疑問でしたし、
生まれつきの敏感さを知っていたので、学校に行くことよりも、
子どもを守る事の方が大事だと思ったので、学校へは行かずに過ごす事に。
親としては、学校に行かなくなったら、「勉強はどうするの!?」とか「人間関係はどこで学ぶの!?」とか色々不安になりますよね。
だからと言って、学校に適応することに心身すり減らすことの意味が、私には見つからず。そもそも 学校って本当に「学び」の場になっているのか。
など、学校という場について色々考えました。
そこからは、どう過ごすかを色々調べました。
というところで…今日はここまで!
次回以降は、不登校の息子たちがどのように過ごしているかについて、
少しづつ綴っていこうと思います。